ルーティン研究所

毎日をよりよくするためのルーティンを発信しています

2022/ 9/23 自己内のエネルギー量と行動力と朝の習慣。

最近は知らない人に話しかける事を習慣としている。今日は料理教室。一人で入会したため、教室内に知人・友人はおらず、顔見知りができても通うペースが月2ぐらいのため、次回その人達と会うことはほぼない。1グループ4人制で料理を進めるが、毎回が新しい人達との出会いの場となる。

今日も例に漏れず、グループ内の人にこちらから話しかける。一度話しかけてしまえば、以降は他の人へ話しかけるハードルが下がる。要はその最初の話しかける段階でエネルギーを要しているように思う。頑張って話しかける事で何故か知らんけど(達成感を感じるためか)自己内のエネルギー量がギュインと増えて、その後の話しかける行為を容易にしていると肌で感じ

る。つまり行動力はこの自己内のエネルギーの高低が関係しているように思う。今日も最初はまごついてしまったが、ふとした機会に他グループの人に話しかけた事で、以降の声かけのハードルがぐんと下がった。

 

料理教室でのこの一連の出来事があり、

ふと昔読んだ記事を思い出した。

https://haraharadokidoki.jp/attoutekina-koudouryoku/#toc2

 

読んだ当時はあまり腹落ちしていなかったが、今読んでその内容に大いに納得した。つまり朝にギュインと自己内のエネルギー量を増やすことで、その一日の行動することへのハードルを自動的に下げているのだ。つまり行動力も自ずと無意識的に上がっていくというわけだ。

今日の気づきを踏まえて、新たな朝のルーティンに繋げたい。

自分を思いやる

2〜3年前。「一生お金に困らない生き方」という本を読んで、読んだ内容を実践していた時期があった。欲しいものがあればそれを買い、食べたいものがあればそれを食べ、行きたいところや体験したいものがあれば行ってそれを体験する。お金を言い訳にしてはいけない。後で必ず返ってくるという信念のもとで、かかるお金は気持ちよく支払おうというもの。

(ここだけ聞くとただ贅沢をするように聞こえるが、必ずしもそうではなくて、実際学んだ事は多い。気になる方は一読してみて下さい)

やってみると分かるが、人によってはとても勇気を要する。派遣社員でそこまで貯金があった訳ではない私もびびりながら実践する。ちょっとお高いホテルに泊まってみたり、入った喫茶店で値段を見ずに食べたいものを食べ、初めてオーダーのジャケットを新調したり、神社の賽銭箱に1万円札2枚を投じたりもした。

そしてそれとは並行して本書では、もっと自分本位になる事を主張する。そのため、実践中は自分の内面に常に耳を傾けた。会社に行きたくないと思えば休暇を取り、人間関係においては感情を押し殺すことなく嫌な事は嫌とはっきり伝える。その過程でたくさんの労りの言葉を自分に投げかけた。とても満たされていた時期だったと記憶している。

この自分への思いやり、いわゆるセルフコンパッションが満たされた気持ちの根幹にあるのではないかと今更ながら思う。

今後に活かすため、備忘録としてこのエピソードをここへ記す。

その場を怒りでしのげたとしても

小さい嫌な事であれば、自分の我を通して好きなように行動し、時には怒鳴ってがなってその場を凌ぐことができるかもしれない。

でも怒りを覚える原因、自分の思い通りにならない事なんて、自分の周りにいくらでも探すことができる。 

怒りの道は果てしなくきりがない。

2022.01.12 退屈という感情

退屈という感情。

その感情を抱いた時、心は今にあらず過去に移動しているように思える。

退屈でなかった過去のワンシーンを持ち出しそこでしていた事を思い出して、今目の前にある状況と比較してみたり?

あるいは、実際に、又はSNS・小説や映画・ドラマで、過去に見た他の人がしていた刺激的、魅力的に見えた遊びや物事を持ち出して、目の前の状況と比較してみたり?

退屈とは今目の前の状況を鑑みて芽生える感情であるため、一見今を生きているように見えるが、実際は違うように思う。

不安も安心も常に移ろいゆく。

鬱蒼とした毎日が続いてもいざ良いことがあれば、生きてて良かったなって思うし、ずっと欲しかったものを手に入れたその満足感が時間と共に劣化し、当時の新鮮味や有り難みが薄れてしまった事は多い。

心が常に目まぐるしく動き続けている事を日々実感する。そんな環境下で今ある安心感やポジティブな気持ちを離さず持っていようとする事が少し無理のある話のように思えてきた。そんなものは身体のコンディションやちょっとしたきっかけでかき乱され、時には吹けば飛んでいく。

不安も安心もどちらも受け入れ、それが体を離れていくような事があれば、それをさらりと送り出してあげたい。

期待の無謀さについて

こうなったら良いなという期待。

各々がもっている自分の理想・理想の環境。

期待があるから人に良いリアクションを期待するし、理想を抱いているが故に、今この瞬間を苦しめている事も多い。世界は常に変化している。流れる川のように常に変化しているため、不確実な要素だらけだ。そんな全てが不確実な世界で、自分の理想を通そうとする事の無謀さを最近実感している。

でも「期待しない」という姿勢を貫こうと思ってみても、そんな姿勢とは裏腹に無意識下ではついつい期待してしまうもの。期待は意思ではなく、無意識下のものと認識している。

今は、無理にどうこうしようとするのではなく、ただ期待の無謀さを知識としてだけ持っておきたい。知識として持っているだけでも、今後人生を歩んでいく途中途中で、経験としてそれを実感し、無意識のうちに実践されていくように思う。